西照寺について

【住職の紹介】

住職  正木 唯真

・1976年生
・京都市伏見区小栗栖西方寺で生まれ育つ
・佛教大学別科卒業後、2001年南米(ブラジル)開教区赴任
・サンパウロ別院日伯寺勤務
・マリンガ日伯寺勤務
・パラナ老人福祉和順会勤務
・2004年11月 任期満了帰国 西照寺第23世就任


【お寺の紹介】

【宗 旨】浄土宗
【寺院名】光明山 寿徳院 西照寺(こうみょうざん じゅとくいん さいしょうじ)
【住 所】大阪市天王寺区下寺町2-2-45

【沿 革】
浄土宗知恩院末寺 慶長元年(1596)僧利伝の開創。420年以上の歴史。

◆昭和20年(1945)3月14日
大阪大空襲により焼失。戦後昭和再建された。
大空襲の際、第20世龍童和尚様が、ご本尊、阿弥陀如来様、観音菩薩様「慈悲の仏様」、右脇侍、勢至菩薩様「智慧の仏様」を本堂の横にある池に、三尊を沈め戦火を逃れたと言われている。

◆大阪圓光大師25箇所(浄土宗 宗祖 法然上人)

◆大阪観世音第33番 所願成熟十一面観世音菩薩 
御霊神社 大阪市中央区淡路町 4-4-3より神仏分離により明治期十一面観音菩薩移転

◆仏足石 安政6年(1859年)3月に造顕されたもので、戦災を逃れて現在に至ります。

▲仏足石

◆富永仲基(とみながなかもと)招魂碣
 西照寺に富永仲基招魂碣あり、また、富永家家族のお墓がある。
 富永仲基は、江戸中期の大坂の思想史家。 懐徳堂(かいとくどう)を創建した五同志の一人である道明寺屋吉左衛門(どうみょうじやきちざえもん)(富永芳春)の三男。三宅石庵(みやけせきあん)に学びました。儒家思想を歴史的に批判した『説蔽』(せつへい)(亡佚)を若くして著述。そのために石庵に破門されたといわれますが、事実かどうかは不明です。後に仏教研究に取り組み、その成果を『出定後語』(しゅつじょうこうご)にまとめました。また『翁の文』(おきなのふみ)を著し、日本においては神仏儒の三教とは別の「誠の道」を尊ぶべきことを説きました。その学問は、思想の展開と歴史・言語・民俗との関連に注目した独創的なもので、後発の学説は必ず先発の学説よりもさかのぼってより古い時代に起源を求めることを指摘した「加上説」(かじょうせつ)が有名です。

▲富永仲基(とみながなかもと)招魂碣
▲富永仲基招魂碣(石濵の委嘱による 三原研田『研田書記』)
▲新聞「泊園」

【富永仲基 参考資料】
・ 大阪大学
・大阪府池田市のホームページ
・懐徳堂WEB
・関西・大阪21世紀協会 

◆富永芳春(とみながほうしゅん)墓 (1684~1740)
 大阪の町人學者 富永仲基(なかもと)、荒木蘭皐(らんこう)の父。
家は代々大坂の醤油(しょうゆ)醸造業者。五井持軒(じけん),三宅石庵(せきあん)にまなぶ。享保(きょうほう)9年好学の町人五同志のひとりとして,庶民のための学問所懐徳堂の創設にかかわり,自分の隠居所を提供した。元文4年12月14日死去。56歳。名は徳通。通称は道明寺屋吉左衛門。

【参考資料】
・「ここまで知らなかった なにわ大坂をつくった100人」


●御朱印について

※住職が不在な場合がございますので、事前にお電話でご確認ください。